12月23日③ [毎日の記録]

やっぱり今日も一日いろいろ見えて、気になったけれど、
夕方からバタバタして、それどころじゃなくなった。

心気症を治し方は、向き合うことではなく、気をそらすことなのかな~と思う。
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12月23日② [毎日の記録]

朝からすでにもう何度も、視界checkをしてる。
普通に生活していて、何か見えた気がして、あるいは何か見えて、視界check。
その都度、グレーな感じ。
グレーだから、だいじょうぶだろうと言い聞かせる。

疲れた。
昨日、眼科に行ったばかりなのに。
心気症、治る気がしない。
一生これが続くのかと思うと、つらい。

どうすればいいのかと考える。
考えない方がいいのかとも思う。
なるべく気をそらす。

結局、暇なのかな?

でも、そもそも治るものなのかな?
コロナでずっと引きこもり状態。
テレビでお出かけしている人を見ると、びっくりする。
私みたいな心配性にはとても無理。
心配性はコロナで死亡するリスクは低そうだと思う。
コロナ禍で、私みたいに逃げる人、医療従事者研究者のように立ち向かう人、
あまり心配することなく出かけて、経済を回す人、全ての人が、人類には必要なのだと思う。
だから、きっとそれは持って生まれた性格で、治るようなものではないのかな~と思う。

でも、私の心配性は意味があるのか?
ただ自分が疲れてるだけ?
網膜剥離になれば、少しは意味があると思えるかもしれない。
家族への迷惑が減らせるかもしれない。
網膜剥離になって、しかも毎日心配しているおかげで迷惑を減らせる確率は、
ものすごく低い気がする。
失明なんて他人事だと思っていて網膜剥離になって、それでも視力が回復することのほうが、
今の時代多いのだから。
あきらかな変化を、無視しようとしてもできない変化を認めてからで、たぶんなんとかなる。
網膜剥離以外にも加速に迷惑かけちゃう病気は沢山あるわけで、
心配ばかりしていることも迷惑なわけで、心配性はやはりマイナスなのではないかと思う。

また、だらだら書いちゃった。
まとまってない。
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12月23日 [毎日の記録]

明け方、布団の中で。
眉毛を触ろうと思ったのか、おでこだったか、よく覚えてないけど、
触ろうとして手がずれて、まぶたの上のほうを触った。
ぐっと押してしまったのは、目ではなく、目の上の骨だと思う。
でも、心配になる。
この刺激で、網膜に穴が開いてしまったら?

だいじょうぶだとは思う。
目を打撲した・・・みたいな強い刺激じゃない。
目をこするとよくないと言われているけれど、
こするみたいに往復して何度もみたいなことでもない。
でも、何もしてなくても穴が開くときは開くわけで、これくらいの刺激でも・・・と思う。
でも、何もしてなくてもなるってことは、心配しても仕方ないってことだ。

目の周りを触るつもりがまぶたを刺激しちゃったって焦ること、よくある。
これってみんなやってるけど、気がついてないの?
私が気にしすぎ?
それとも、私が目の周りを触る癖があるってことなのか、
手を滑らせやすいってことなのか。

目の周り、顔、頭、触ってプラスになることってあまりない。
なるべく触らない習慣をつけていきたいと思う。
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